取材・文/働きかた研究所 平田未緒
(2015年 日経DUALに執筆・掲載したものを、ご厚意を得て転載しています)
子どもが大きくなり「再び働き始めたい」と考えても、大都市と地方都市では事情が異なる。夫も、夫の家族も理解を示さない状況で、再び仕事へ出た女性の考えとは?
近藤恵さん(仮名 35歳)の職場は、中国地方で店舗展開する地元資本の小売店だ。服飾雑貨売り場でパートを始めてまだ1年。だが多彩で難度も高い仕事を次から次へとこなしていく。接客はもとより、レジ、品出し、販売計画の立案から発注まで担当している。
例えば、チラシに掲載された商品を、売り場のどこに配置し、どう売るか。また、毎月の売上目標を達成するには、何をどうディスプレイし、どうお薦めしていけばいいかなどを、正社員と共に考えていく。他の社員との連携なしには進まない仕事。同僚との職場コミュニケーションも良好だ。
それもそのはず、近藤さんは、同じ職場のかつては正社員だったのだ。
「地元の短大を卒業後、20歳で新卒入社しました。ずっと自宅から通勤していましたが、その後27歳で結婚し29歳で出産して、育休に入ったのです。結局、第3子が1歳半になるまでの7年間、ずっと産休・育休状態でした。その後ようやく、パートでの復帰を果たしたのです」
なぜ、元の職場に、あえてパートで復帰したのか。
「一番の理由は、待遇です。正社員がパートで職場復帰した場合、時給は1200円近くもらえます。通常、パートの時給は750円から800円程度が相場ですから、圧倒的に割がいいんです。社会保険も完備ですし、末の子が小学3年生になるまでなら、正社員にも復帰できます。こんなに恵まれた職場は、他にありません」
ブランクがあるとはいえ、同じ職場での仕事経験があることも大きい。もちろん、7年に及んだブランクの大きさを感じる場面もある。例えば、レジの細かな仕組みや、社内のイントラ環境など、細かく言えば、キリがない。
それでも、基本的な仕事の流れや、接客のあり方は変わらない。かつての同僚も、社内の各職場で勤務している。また、休職前に直属の上司だった男性社員が、管理職に昇進・昇格してもいる。
「仕事も、人間関係も、一から全部覚え、習熟していくのは大変です。想像するだけで、目まいがしそうです。もちろん、未経験の仕事や職場も新鮮でいいかと思いますが、家事や育児と両立しながら、短時間勤務で大量に学び、習熟していくのは、私には難しいと思ったんです」
実は、正社員、または育児短時間勤務を利用した短時間正社員としての復帰の道もあった、という近藤さん。
「待遇だけなら、正社員や短時間正社員のほうがさらに有利です。それでも、あえてパートになることを選んだ理由は、拘束時間の長さでした。短時間正社員だと、1日6時間勤務することが必要です。パートで復職すれば、1日4時間でもいいんです」
1日たった4時間勤務。週5日、朝10時から昼食休憩1時間を挟んで15時までが拘束時間となっている。1日8時間勤務だった正社員時代には、販売企画の立案・提出から、夜の時間帯に実施される会議への参加、催事があったり、セールの時期や、パートが出勤できない時間帯のシフトの穴埋め勤務をしたりするなど、多彩な理由で残業もこなしてきた近藤さんにとって、今の仕事の仕方は、圧倒的に「ラク」である。
「『1日4時間のパートなんて』と、言われるかもしれません。でも、私にはこれが精いっぱいなのです」
乳飲み子を含む3児を育てながらのパートは、それほどにまであわただしい。
具体的には、こうである。
朝は5時には起床して、誰にも邪魔されない間に掃除や洗濯等の家事。その後7時に6歳の長男、7時半以降に4歳と2歳の長女と二女を順に起こして、寝ぼけ眼を覚まさせながら、朝食・着替え・登校や登園の準備などをさせていく。同時に、自分と夫の、朝食や身支度もしないと、間に合わない。
「8時半に、下の2人を車で保育園に送っていき、自宅に戻って戸締まりをして、8時50分には家を出ます。その後9時過ぎに1時間に4~5本しかない在来線に飛び乗って、約20分でJRの最寄り駅。そこからさらにバスに乗って、10時ギリギリに職場に立つ毎日です。非効率な綱渡り通勤ですが、職場が繁華街にあり、車通勤が許されていないので、仕方ありません」
15時の仕事終了後が、また戦争だ。朝来た道を、バスに乗り、電車に乗って、自宅まで。その間、買い物をし、保育園にお迎えに行けば、あっという間に17時になる。
ぐずる末の子におっぱいをあげ、大急ぎで夕食を作り、まずは子どもたちに食べさせる。その後、後片付けやお風呂を済ませ、保育園や学校との連絡ノートに目を通したりするうちに、泥のような疲れが襲ってくる。子どもを寝かしつけるつもりが耐え切れず、自分も眠ってしまう毎日だ。
要するに、1日4時間働くために、保育園の送り迎えを含め通勤に毎日、3時間以上かけている。しかも、自分の都合のいい日ばかり働けるわけでもない。正社員時代、パートのシフト管理に苦労した分、逆に「短時間勤務だからこそ、繁忙時にきちっと働かなくては、仲間の理解が得られない」と考える。
「例えば土・日曜、祝日は、子どもとゆっくり遊べるチャンスですが、あえて自らシフトに入るようにしています。でも、これがまた大変で・・・というのは、日曜や祝日は学童保育も保育園も休みです。つまり毎回、夫に見てもらったり、夫や私の実家に子どもを預けたりしなければなりません。ところが肝心の夫が、私が今の職場で仕事することに、賛成ではないんです」
兼業農家の長男である夫の言い分はこうである。
「実家の土地に家を建てれば、家賃が要らないし、子どもだって見てもらえる。米も野菜もあり、食費も浮く。遠いうえ、家族と休みも合わない職場に、あえてパートに行かなくても、いいだろう」
ここに、しゅうと・しゅうとめが同調する。働くことにおいて、まさに四面楚歌の状態だ。
「夫やしゅうと、しゅうとめのこうした考えは、まさに『土地柄』なのですが、私はいくら親でも、そこまで頼るのは違うと思うんです。それに、今後子どもは、必ず大きくなっていきます。当然、必要なお金はこれからどんどん増えていきます。その家計を支える夫は公務員で、安定こそしていますが、今後大幅な賃金アップは見込めません。子どもが大きくなったとき、お金を理由に、進学やお稽古事を我慢させたくないんです。だからこそ、自分もそれなりの現金収入を得る道を、今から確保しておきたいと思っているのです」
専業主婦だった7年間、夫に「暇でいいよな」と言われるのが、本当にイヤだったと振り返る。
「確かに、収入を得る労働はしていませんでした。でも、子どもの外遊びに付き合い、くたくたになって帰宅して、まとわりつく上の2人をいなし、乳飲み児を左腕に抱きながら、夕食のいため物をするような毎日です。それが、乳飲み子を抱える専業主婦の実態です。なのに夫は、早いときには17時半には帰って、テレビにビール。気が向いたときしか手伝ってくれませんでした。それは、私がパートに出た今も変わりません」
配偶者から理解も評価もされないつらさ。それでも自分で収入を得たい。
「働くのは、収入的な目的もありますが、私自身が『家にじっとしていられない性分』ということもあるんです。だから、本当はもう少し勤務時間を増やしたいし、将来は“正社員復帰”も念頭に置いています」
とはいえ、今ですら手いっぱい。これ以上勤務時間を延長するためには、お迎えや夕食の準備など、家族の援助が不可欠だ。でも、実家は遠く、夫やしゅうと、しゅうとめは働くことに反対という状況。
「あくまで仕事を続けつつ、帰宅までの間、多少なりとも子どもを見てもらうためには、夫の実家に同居することが必須です。しかし、夫の実家は、田んぼや畑に囲まれた山のほう。家から駅までバスか車で行くこととなり、通勤時間は、さらに長くなってしまいます」
これを、どうするか。近藤さんは、少し考えてから、こう答えた。
「今すぐに解決策は見つからないかもしれません。でも、子どもは必ず大きくなっていきます。その時々の環境変化に応じて、『あ、今だ』と思ったチャンスを逃さないように、日々考えながら、現状を精いっぱい生きていく。それしかないような気がします」
[終わり]
顧客アンケートで「心を通い合わせる」経営手法【長野第一ホテル】第4回
2017 07 05
<< 目次 >> 第1回 老朽・閑古鳥ホテルを黒字化、賃金アップできた理...
顧客アンケートで「心を通い合わせる」経営手法【長野第一ホテル】第3回
2017 07 05
<< 目次 >> 第1回 老朽・閑古鳥ホテルを黒字化、賃...
顧客アンケートで「心を通い合わせる」経営手法【長野第一ホテル】第2回
2017 07 04
<< 目次 >> 第1回 老朽・閑古鳥ホテルを黒字化、賃...