記事:働きかた研究所 平田未緒
料理が好きだ。
春に緊急事態宣言が発令され、巣ごもり生活が始まって以来、ほぼ毎日、3食自分で作って食べている。
どんな料理を作るにも、塩気はほぼ、欠かせない。よい塩梅(あんばい)というように、ほどよいと、料理はぐんと美味しくなる。
ところが塩は曲者で、ドバっと入ってしまったが最後、すべてを台無しにしてしまう。何をどう加えても、もはや味のバランスを戻すのは至難である。
なのにまた、ほうれん草を炒めていて、ついうっかり、塩をどっかり、入れてしまった。
「あーあーあー」
また、やっちゃった。
味見をし、顔をしかめた瞬間、ある女性管理職の苦し気な表情が目に浮かんだ。そして、思った。
想像力は、塩に似ている。
私の仕事は、企業で働く人たちを、相思相愛にすることだ。
社長と社員、上司と部下や同僚同士など、社内のタテヨコナナメの関係が、互いに思いやりあい、助け合い、同じ目的・目標を見て、活き活き働けている状態を、相思相愛と言っている。
もう少し言うと、社外の私が、他社の社内に関わることで、各社がより相思相愛になれるよう、あれこれするのが仕事である。例えば、社内研修を行ったり、人事制度を作ったり、カウンセリングやコーチングを行ったり。社員の悩みや、その社員に関する社長の悩みを聴いたりするのも仕事である。
ふと浮かんだ、女性管理職の苦し気な表情は、そうした「相思相愛」支援として相談に乗ったときのものだった。
彼女の相談は、こうだった。
――専務と私と、ある他部署の社員が参加した、オンライン会議でのことでした。専務の発案で、私が担当している仕事を「その社員と半々で、相談しながら行う」ことになったんです。え? と思いました。だって、私は高度な専門性を持つ管理職です。その場では同意しましたが、意図が消化できなくて、モヤモヤは大きくなるばかりです。そこで自分の気持ちを確かめてみてわかったんです。私は、上司の専務に自分が半人前だと思われていること、プロ扱いされてないことが、ものすごくショックで、悲しかったんです――
彼女の言葉が切れたところで、「話したかったことは、全部言い切れましたか?」と確認し、私は彼女に質問した。
「専務はあなたのことを、半人前であり、プロではない、とおっしゃったのでしょうか」
「……え?」
「実際に専務は言ったのかな? って。というのは、私は専務のこともよく存じ上げているけれど、あなたのことを、そんな風に見なしているとは、思えないんです」
少しして、彼女が口を開いた。
「いえ、専務にそう言われたわけではないです」
さらに
「私、いま気づきました。前にも、今回と同じようなことがありました。それも、何度も」
と続けると、伏せていた顔を上げ、こう言った。
「専務に面談の時間をもらいます。そこで、私の気持ちを伝えます。専務の気持ちや意図も、直接うかがってみようと思います」
「はい、ぜひ。きっといいことが起きると思いますよ」
私は、笑顔で彼女を見送った。その笑顔だけが残ったzoomを閉じながら、私はかつての自分に思いをはせた。
私は会話をする相手から、いつも何かを受け取っていた。
「ああ、いまこんな顔をした。きっと私のことを、こんな風に思っているに違いない」
そんな勝手な“受け取り”は、集団の中にいるとき、さらに一層、強まった。
「私は、誰にも認められない人間だ。受け入れてもらえていない存在だ」と、いつも、あたりまえのように思っていた。
しかも、そのことがバレないように、必死だった。孤独な人と見られないよう、一所懸命、誰かに声を掛けては、疲れ果てた。
要するに、どんな人の反応も、そこからの想像も、常に「私はだめだ」につながった。まるでループのように、何をしても、何を見ても、自分否定に行きついた。
そのことが、苦しくてたまらなくなってから、だいぶいろんなことをしたと思う。例えば幼少期を振り返り、思考のクセを紐解いた。そして、自分自身につながった。数年かかって、ようやく「私はだめだ」は退散した。
もちろん細かくはいろいろある。でも、不必要に沈んだり、気に病むことはなくなった。さらに、何かモヤモヤしときは、できるだけ事実を確認しよう、と決めている。
それにしても。
なんでこんなに、ものごとを、想像で判断するようになったのだろう。
こう考えて、はっとした。
小さいころから「人の嫌がることをしてはいけません」と、私は言われて育ってきた。
あなたも、そして多くの子どもも、今なお、そうなのではないだろうか。
さらに、社会に出れば、今度は「相手の立場に立ちなさい」と、ずっとずっと言われ続ける。実際、これがうまくできないと「社会人失格」と言われてしまう。
要するに、想像力で判断しないと、学校では仲間外れ、会社ならお荷物扱い。コミュニティから外されるのを見てきている。
逆に言えば「人の心を読み」「先回り行動」することを、意図せず強固に、学習し続けてきたのである。
想像力は塩に似ている。
互いを思いやれない関係性は、塩気のない料理のように、味気ない。そもそも塩がなければ、人は生きていられない。
一方、想像力が働き過ぎると、自縄自縛に陥ってしまう。一人で「こうではないか」「ああではないか」と想像し、そこにマイナス思考が働くと、「私はだめだ」の沼にはまってしまう。
その、あまりに苦しい沼から抜け出すには、自分の「想像」を疑うことだ。そして、できれば相手に、きちんとたずねてみる。
たずねることが、ものすごく怖いのは知っている。
でも、たずねてみたら、私の世界が広がった。
塩は、入れすぎたが最後、元に戻すのは難しい。
ところが、人との関係性はそうではない。
心でつながる「相思相愛」の関係は、心を開き合い届け合うことから始まっていく。
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