ちょっと前、こんな会話をよく耳にしていました。
「プレミアムフライデーとか、何なの、あれ」
「マスコミが派手に報道してるけど、大企業勤めの、恵まれた人の話でしょ」
「うちみたいなサービス業が3時閉店とかありえないし」
「働き方改革って言ってるけど、なんだかやってることは休み方改革だよね」
・・・確かに(笑)。
そう思いつつ、私はここに違和感も持っていました。
第一に、休暇を会社主導で「取らせる」ことは、
実際、働き方改革につながると思うからです。
こんな例があります。
ある地域密着型中規模小売りチェーンさんでは、
数年前からトップの強い意向で
「社員の5連休取得」「7連休取得」を推進されています。
そもそも「有休を取ることもはばかられ、
新入社員でも11時ごろまでの残業は当たり前」だった同社。
連休は、社員にさぞ喜ばれるかと思いきや、当初は逆に、
特に管理職層の強い抵抗にあったといいます。
「連休なんて無理だ」「自分がいない間、店はどうするんだ」というわけです。
それでも社長号令のもと人事主導で、
休みの取れていない社員がいる店舗の店長には、
個別に警告を発するなど地道な活動をつづけた結果、
今では社員のほぼ全員が連休を取得できるようになっています。
「休みを取るために、前倒しでスケジュール管理をしたり、
休暇中の権限委譲や役割分担を自然とするようになり、
『自分が休んでも組織でカバーできる』ことを実感できるようになったから」
(同社人事部)というのが理由です。
そう、休み方改革が、働き方改革につながっているのです。
そんな例を思い起こしながら、
なお違和感が残る第二の理由を考えていて、
「あ、そっか」と思い至りました。
働き方改革も、休み方改革も、要するに手段に過ぎず、
「どちらが、どう」といった議論に意味はないからだ、と思い至ったのです。
では、それら手段の、目的は?
答えは、支え合いです。
要するに、働き方改革も、休み方改革も、支え合い改革だということです。
残業削減や休日の取得を含むワークライフバランスの推進や、女性活躍推進は、
生産性向上や、企業業績の向上が目的のように語られます。
実際、そこに資するものだと思い、
各企業がそこを目指すのは当然であり、正しい姿だと思います。
でも、大きな目で見れば企業個々が実施されている施策の本質は、
国民全体の「支え合い」の仕組みづくりだと思うのです。
となれば、今の働き方改革が、正社員主体となっているのは、
少しバランスを欠いているようにも思います。
実際、政府の「働き方改革実行計画」には、
非正規社員に関わる内容も多く含まれていますが、
非正規で働く女性や高齢者、また不就労層も含めた全員に向けた、
労働参加の意欲喚起策であり成長の仕組みづくりが、
これからはさらに大切になっていくと思います。
でも、こうした支え合いは、いつから、なぜ必要になってきたのでしょうか。
このことは、人事マネジメント情報誌の記者として、
雇用の現場を取材し続けてきた私の経験に照らすと、よく見えます。
かつて、パート・アルバイトは企業の補助的労働力であり、
その担い手も主婦、学生など働く上での制約(家事・学業など当人にとっての本業)
がある人がほとんどでした。
同時に、彼らはその大半が夫や親に扶養されている、
いわば生活に困っていない人たちでもありました。
ところが、バブルの崩壊後、企業が非正規雇用を増やしていった結果、
学校卒業後もアルバイトで働き続ける若手のフリーターや契約社員が、
男女とも増加していきました。
リーマン・ショックのときは、正社員としての職を失った中高年男性が、
非正規労働の担い手となっていった例も見聞きしました。
つまり、従来男性は、
正社員として働き一家の大黒柱として家計を支える役割でしたが、
男性とてその役割を担える人ばかりでは、
なくなってきたのです。
必然的に、その妻となる女性自身にも自ら収入を得る必要が出てきます。
また、結婚しない人や、結婚年齢自体が上がっていき、
女性でも自ら収入を得る必要があったり、仕事を自己実現の手段と捉える人など、
「働く」「働き続ける」女性が増えてきました。
法改正により、育児をしながら働き続けられるような
環境が整ってきたことも大きいと思います。
こうした状況の変化が、今度は逆に、
かつては無制約に働けた男性を、
いつ「働く上で制約がある社員」にするかわからなくしています。
女性の就業率が高まったことで、これまで夫の代わりに、
育児や介護など働く上での制約となることを一手に引き受けてきた妻が、
その役割を果たさなくなってきているからです。
一生シングルであればもちろん、自分の親は自分でみなくてはなりません。
ちなみに、子育てしながら働く娘に代わって、
保育園の送り迎えをしたり、夕食を作って孫と食べながら娘を待つなど、
娘の仕事を陰で支える祖父母たちも、
今後は今のようには、その役割を果たさなくなっていくだろうと思います。
例えば今の40~50代が、10年後、20年後に孫をもち祖父母となったとき、
今の祖父母世代と同様に「仕事をしていない」可能性は、低いと思うからです。
そうなれば、わが子の代わりに孫の面倒を見ることはできません。
実際、高年齢者雇用安定法の影響や、
全国的な人手不足ということもあって、高齢者の就労は進んでいます。
つい先日も、都内の百貨店の小物売り場で、
20時の閉店間際に買い物をしたところ、
キラキラな売り場のお会計カウンターにずらり並んだスタッフたちは、
全員が50代~60代と思しき女性たちでした。
これは、ちょっと前には見られなかった光景で、
その明るく丁寧な接客を受けながら、
子育て世代が働けない時間帯に、別の世代がカバーする、
素敵なワークシェアだと思って心が躍りました。
半面、さらに上の、
戦後の日本をまさに創り上げてくださってきた世代がご高齢となり、
生きるのに「誰かの支え」が必要な人が急増しています。
厚生労働省「人口動態調査(年間推計)」によると、
2016年の出生数は98万1000人となり、初めて100万人を割ると推計されています。
一方、死亡数の推計は129万6000人であり、年々増加しています。
感謝と看取りが、時代を受け継ぎ、今を支える者の、
大きな役目となっていくことは確実です。
要するに働ける人は皆、働くことで、誰かを支えていかないと、
社会が持たなくなっている。
働き方改革は、誰もが働けるための工夫であって、
主婦として家庭の内側から、あるいはボランティアで社会を支える人も含めた、
支え合いの一環なのだと思います。
企業は、社会の構成要素の一つです。
こうした社会の将来像のなかで、
企業としてどう「在る」のがよいのか?という視点も持ちながら、
人事管理を考えていくことが、
結果的に、企業の永続につながっていくのではないかと思います。
2017年8月24日 メルマガ記事を転載
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